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no book no life

「学びて思わざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し。」 孔子

私の中で一番思い入れのある言葉である。

大学3年生の夏、帰省し母の運営する公文教室で丸付けの手伝いをしていたときにこの言葉に出会った。

その頃の私は、大学進学のためにド田舎から大阪に出て2年が経ち、様々な人に出会い、新しい経験をし、世界が広がり、自己肯定感が爆発的に高くなっていた。「自分は最強、自分が正しい」と思って生きていた。「何事も経験が第一」という考えに至り、新しい人に出会うこと・新しいことをすることだけを考え、毎日大忙しの日々を送っていた。小さい頃から変わらず、読書をしている人を根暗と見下し、アクティブな毎日こそが充実と心底思い生活していた。

そんな矢先の出来事であった。

小学生の女の子の国語の音読を聞いてあげてほしいと母に頼まれた。

元々格言やうんちくに安易に興味を持ちやすい私は、興味津々で音読を聞いていた。孔子の話であった。

「学びて思わざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し。

知識を得たり、経験をしたりしても、その学びを自分の考えに落とし込まなければ身につくことはなく、意味がない。

また、自分の考えだけに頼って、広く先人の意見や知識に学ばないと、考えが凝り固まってしまい危険である。」

と女の子は言った。

自分に言われている気がした。冷や汗をかき、恥ずかしくてたまらなくなった。

考えの凝り固まりの最上級にいたのだ。「ソクラテスでいう無知の知ならぬ無知の無知状態」である。

その瞬間、私は読書をするしかない、せずにはいられないという気持ちになった。

この言葉との出会いが、私の読書人生の始まりであった。VAK理論で私は「Aタイプ」で言葉に関心を持つタイプなので読書が体に合っていたのでハマったという説も濃厚である。

読書をすればするほど、自分が無知であることが分かり、自分の世界の狭さを知り、自分なりの考えはあるが、謙虚になった。

以前は自分と違ったり、理解できない考えに出会うと、なんでそんな考えになるか理解しようともせず、なんなら怒りの感情までもが湧き出ていた。

今は自分の考えが正解とは思っていないので、相手の考えを一旦受け止め、そのような考えがあることを知り、なぜその考えに至るのかを考えるようになった。

新しい考えも踏まえ、また自分の考えを見つめ直し、考えが変わるか変わらないかは別として、日々アップデートすることを心がけている。そのおかげか、感情的になることが格段に減り、ストレスもたまらなくなった。

やはり経験だけで考えを決めてしまっては、「それってあなたの感想ですよね」状態になってしまう。私はそうは言われたくない(笑)

MBTI診断やVAK理論で分かるように、人それぞれ価値観や優位感覚が全く異なる。同じ空間で過ごしても、同じものを食べても、感じ方は人それぞれであり、思ったよりも違っていたりする。

だからこそ、新しい考えを取り入れたり、理解しようとしたりしない人を否定したいとも思わないし、そのような人がいることも納得できる。

様々な意見や知識を取り入れ、考えを深めつつ、気になったら実践しつつで、自分と自分の大切な人たちが少しでも過ごしやすいように、楽しく暮らせるように努力し続けると、心に決めている。

本は人を幸せにすると心から信じている。

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